2018年12月11日火曜日


沖縄県立博物館・美術館  美術班 元副館長 翁長直樹さんの講座を企画しました。
二回に分けての講座では、『県立美術館10年の歩み」を語ります。

沖縄県美術館 講座室 12月21日 17;30〜19:30
「美術館ができるまでー開館までの道のりー」

翁長さんの書き綴った文からの一部を紹介します。
 県立美術館収集と展覧会
1 展覧会 (翁長主担当)
●1995年 沖縄近現代美術家展「沖縄戦後美術の流れ展」シリーズ1モダニズムの系譜 1995年8月 沖縄近現代美術家展「沖縄戦後美術の流れ展」シリーズ2固有性へのこだわり 1996年10月
 当初2002年開館予定の美術館建設プレイベントとして 初めて手がけた展覧会。その前に1年 間のアメリカ留学で考えた戦後美術史の展覧会であった。95年には基本計画が策定、96年には 設計競技が行われている。  とりあえず流れを作り、それを提示することによって反応を見る展覧会。問題提起型 アメリカの美術館で学んだ分業型の展覧会を目指していたが、今考えると 素人の怖さ知らずの 展示だった。ボランティアに頼っていた。 キュレーター、エデュケーター、ドーセント を分担 した。 「美術館へ行こう」という双方向のCDも作成した。90年代は東京都現代美術館99年アジア美 術館が開館した年。特にアジア美術が大きく取り上げられた年であった。モダニズムが問われ ていた時代。アジアにおける西洋モダニズムの変容。 ●2000(H12)11月7日-30日  県主催「小橋川秀男展」 副担当 基本計画にある「ゆかり作家」として移民の帰米2世画家小橋川秀男を取りあげた。本人は高 齢のため来れなかったが、展覧会の翌年亡くなった。米国で生まれ、要少年期を沖縄、本土で 教育を受け、米国に戻る人々のこと。
徴兵されるが「人殺しに反対」との理由から良心的兵役
 拒否、除隊。カリフォルニアツールレーキ 収容所へ。そこで絵を学ぶ。その後ニューヨークに
 給料のほとんどをキャンバスと絵具につぎ込んで約1万 点の 作品をアパートに残して、一度も故郷に帰ることはなかった 。かなり話題になった展覧会。
●写真展「東松照明展」2002年7月
「フォトネシア展」 2002年11月に復帰30周年記念事業として再開。東松さんの寄贈作品450点を展示しようという ことで開催。

復帰30周年事業として撮られた沖縄という意味では一つのポイントにはなった。 全国から写真関係者が500人以上集合した。中平卓馬、森山大道、荒木経惟が開会式に参加。 翌日のシンポジウムもかなりの盛り上がりであった。沖縄でこそ可能な展覧会にな った。